弥生三月、久徴園でもイズモコバイモが春の訪れを告げています。本日この佳き日に、PTA会長 吉田昌之様、久徴会会長 土井豆勝磨様をはじめ、多くのご来賓の皆さまのご臨席を賜り、令和5年度第75回卒業証書授与式を挙行できますことは、大きな喜びでございます。高いところからではありますが、心から御礼申し上げます。
保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。お子様の立派な成長ぶりをご覧になって、お喜びもひとしおのことと存じます。これまでのご労苦に敬意を表しますとともに、本校の教育活動にご理解ご支援を賜りましたことに、感謝申し上げます。
さて、第七十五期卒業生として、本校を巣立っていく皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんは高校教育が大きく変わっていくなかで3年間を過ごしました。コロナ禍のなか入学し、2年間は研修など対面での行事が中止や制限を余儀なくされました。一方で、オンラインでの交流や諸活動でのTeamsの活用など新たな取組もありました。コロナ禍の明けた今年度は、県総体や各種大会、久徴祭でエネルギーが爆発するような、素晴らしい活躍を見せてくれました。また活動の場を学校の外、地域の中に求めていった人もいました。自分たちのアイディアを発信し、大人とつながり、実現していく、その行動力には地域や社会の形成者としてのたくましさを感じます。学校生活に加えて、地域の中に、自分の力をさらに磨き、自分自身が輝くことのできる場を手に入れた先輩たちの姿は、1、2年生を勇気づけたと思います。きっと後輩たちのなかからも、後に続く人が出てくるでしょう。
変化が激しく予測不可能な社会のなかで、多様な他者と協働し新たな価値を創造することが求められる今、学校での学びも変わってきました。大学、社会教育施設、企業、行政など地域とつながりながら、体系化された知識・技能をベースに、自ら発見した課題の最適解や納得解を探究していくものとなりました。それでも、そのなかで変わらず学びの基盤となるものがあります。本校の場合それは「久徴の精神」「至誠」を貫くことでしょう。では、「至誠」とは何でしょうか。
皆さんはこの3年間「GRIT やり抜く」という言葉を頻繁に聞いたと思います。課題研究で試行錯誤しているとき、学習や部活動で壁にぶつかったとき、自分の未来を切り拓こうとあがいたとき、苦しくつらいなかでも、自分のしたいこと、すべきことに誠実に向き合い、やり抜こうとするのが山高生です。GRITizm Noteの裏表紙の言葉を覚えていますか。「我武者羅になれ」でしたね。尾崎一雄の「虫のいろいろ」という小説のなかに、体の割に羽が小さすぎて、力学的には空中を飛べるはずがないのに、実際には平然と飛び回っている蜂の話がでてきます。理屈では不可能と思えても、我武者羅にやっていくと可能になる、そのようなことは案外多いものです。この場合、理屈とは、自分が無意識に作り上げてしまったストッパーなのかもしれません。そんな歯止めを忘れて本気でやり抜いたとき、新たな価値の創造に一歩近づけそうです。
新たな価値の創造には、多様な考えや背景をもつ他者との協働も欠かせません。高校生活でもさまざまな場面で仲間とともに協働することがありました。「自立」「協働」「挑戦」というキーワードも物事に取り組む基本的な姿勢として繰り返し出てきました。協働するときに必要なことは、まず相手と誠実に向き合うことと思います。敬意をもってお互いを認め合ってこそ、それぞれの力を掛け合わせたパワーが生まれてきます。協働する経験を十分積んできた皆さんには、それを今後も生かしてほしいと思います。
「至誠」に関連して、本校の「学園の指標」を紹介します。これは第1期生の有志が起草したものですが、指標の一つめとして「自主自立の精神に富み、気品高き自治の学園」が挙げられています。これは、現実に妥協したり他人に依存したりせず、自主自立の精神と現実に甘えない気品の高さを身につけるということです。
司馬遼太郎は二十一世紀を生きる若者に対して、「自分に厳しく、相手にはやさしくという自己を、そして素直で賢い自己」を確立することが重要だと述べましたが、学園の指標にもそれと共通するものがあります。
本校を巣立ち、新たなステージへと向かう卒業生の皆さん、ここで培った「至誠息むことなし」の精神を糧に力強く羽ばたき、将来、この課題多き社会を支え、牽引する人財となってくれることを期待しています。
結びに、卒業という節目に、これまで自分を支えてくれた家族や友人、周囲の人々へ、感謝の思いを伝えてほしいということをお願いし、また今後の皆さんのご健康とご活躍を祈念して式辞といたします。
令和六年三月一日 島根県立出雲高等学校 校長 村松 洋子