11月12日(木)2年生が、2学期人権・同和教育ホームルームを実施しました。

「同和問題の歴史から学ぶ」前編を学びました。

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生徒の感想
 

 中学校の頃に聞いた「差別と区別は違う」という言葉を思い出し、再考する機会となった。当時は、「区別した後に優劣をつけてはじめて差別となる」と学習し理解していた。しかし、今回、被差別者が初めは畏怖・畏敬の念を抱かれていたことを知り、シーソーを連想した。初め自分たちより高いところに位置していたものが時代を経て下へと移り変わる。改めて「当たり前」が不変ではないということに気づくと共に、知らない間に自分より下に動かしてしまったシーソーに気づける人間でありたいと思った。

 差別された人々が差別され始めた経緯について知らないことがたくさんありました。ケガレ・キヨメなどの知識は記憶に残っていましたが、藩や幕府が厳しい法令を出した背景に、百姓一揆や百姓のモチベーション高揚があったことに、初めて気づきました。また、藩や幕府によって半ば強制的に作られた差別なのだと初めて知りました。私自身、周りにそういった差別を受けている人がいない、また、会ったことがないため、本当にそのような差別が未だ存在しているのか分からない状態ですが、早急に無くすべき問題と思いました。

 元々、差別されていた人と百姓・町人に交流があったことを今日初めて知りました。幕府が法令を出すまでは、それほど強くなかった差別も、力ある人に強制されると差別する風潮が出来てしまい、現代の今でも残り続けることを知り、逆に差別的な言動をした人を処罰する法令を出せば未来の社会に差別がなくなるのかなとも感じました。

 まず、「江戸時代には、幕藩体制の動揺を防ぐために、差別される人を百姓たちと断絶させる法令が出されていた」ことに驚きました。体制が揺らぐことで、よくない状況になるというのも分かりますが、だからといって誰かを差別してしまうと、体制動揺は回避できても、差別の悪循環が負のスパイラルになって、終わりが無くなってしまうのではないかと思いました。最近でも「男女間」や「部落」等の差別が根強く残っている現状もあるので、意識面・行動面の両面から変えて行くことが重要と思います。

2年生人権・同和教育ホームルームを実施しました