「伝えたい、伝わらない その不条理」への挑戦

 

 去る十二月十七日(土)にくにびきメッセにおいて、島根県内の意志ある高校生が地域課題の解決に挑む「しまね未来共創チャレンジ」のプロジェクト報告会が開催された。海岸の漂着ごみを活用したアート制作など、各高校の生徒達十五チームが半年間の活動成果を発表し、古里の活性化に引き続き取り組む決意を示した。その中で本校生徒会執行部の四名が「しまね高校生ラジオ」と題し、お薦めのデートスポットや進学に対する考え方など休み時間に交わすような高校生のリアルな声を、他校の生徒や卒業生である企業人などをゲストに迎えながら十回にわたりラジオ配信した成果を発表し、見事に最高賞の「みらチャレアワード」を獲得した。高校生同士がつながる「輪」づくりのためのハブ(中継点)になりたい、意志ある大人から受ける刺激を広く共有したいとの意欲に満ちたプロジェクトであり、大いに賞賛に値するものであった。今回の生徒会長、議長を含む主体性と行動力、発信力に富む四名の活動は、単なる個人的なものではなく、自主自立・友愛協和の学園である出雲高校の面目躍如といった思いで捉えている。先だって行われた第十六回久徴セレンディピティ講師、38期卒業生の岩谷佳祐さんも同様で、高いスキルと意欲をもって未知なることに果敢に挑戦し行動表現するその姿勢は、本校の伝統として脈々と受け継がれている。生徒会活動もその一端を垣間見られるものとして期待は大きい。

 さて、伝えたいけれども伝わらない思いに苦しんだ経験は誰しもあるだろう。真に伝えたい思いは異なるのに、相手に誤解や曲解を招いた経験もあるに違いない。思いを表す言葉や表現手段に恐らく唯一解は存在せず、相手や場合、タイミング等によって真意の伝達度は変わっていく。だからこそ、募る思いや伝えたい思いが強ければ強いほど、言葉の選択や表現の仕方には配意が必要と経験的に感じている。話題となったTVドラマ「Silent」でも学んだ。伝えたいのに臆病に控えてはいけない、逆に一方的で傲慢であってはならない。その主題歌はOfficial髭男dismの「Subtitle」。山陰出身の島根に縁のあるバンドで、歌詞等で伝える基盤を島根で築いてくれたのが嬉しく頼もしい。「Subtitle」とは、映画等の字幕のことを言うらしい。見える画面で伝わる直接的な表現とそれを補完する字幕の関係性、でも字幕だからこそ真意の伝わる場合もあるのではないか。歌詞にある「傲慢な思い込み」「綺麗で揺るぎないもの」「胸の奥の奥を温めるもの」「言葉はまるで雪の結晶」「堅い理論武装」「プライドの過剰包装」等、音のない世界で生きることを余儀なくされた人物を廻る人間関係を表現したドラマのシーンとマッチして、「伝えたい、伝わらない その不条理」に挑戦する登場人物達の「ひんやり熱い」思いが伝わり、改めて伝えることの難しさと伝えることの価値を痛感させられた。疑いようもなく読書や体験的活動に価値は大きいが、ドラマや音楽、ダンスや各種のスポーツ、文化活動などにも表現の機会は担保されており、いずれからでも学びは得られる。意図した表現があり、受けとめる意志さえあれば。前述の高校生プロジェクト、セレンディピティもそうだし、普段の授業や課題研究、部活動や生徒会活動もそうだ。

 肝心なのは、発信者の伝えたいとの強い思いと、それを伝えるに相応しい表現方法ではなかろうか。

 生徒会誌について。主なコンテンツは、久徴祭、クラス、部活動紹介、学級日誌抄録、各種アンケート結果、特集記事、先生インタビュー、生徒会より一言等となっている。生徒目線、生徒感覚を重視したこの記録は、学校の歴史を彩り、エビデンスとして裏打ちするための重要な資料であり、本校の有形財産として長く保存されていく。刻まれたものは確実に残り、後世に引き継がれるものとなる。今回の第六十九号生徒会誌においても、記事担当者(発信者)や編集委員の伝えたい思いがしっかりと伝わってくれることを期待したい。内容を確認しない段階ではあるが、令和四年度に刻みつけた高校生活の思い出や日常・非日常が、正に「Subtitle」のごとく真意を伝えるものであることを願うばかりである。

 コロナ禍の久徴祭運営、服装規定改定を促した活動等の思いのこもった生徒会活動を筆頭に、各クラス、部活動、或いは生徒個人の思いや考え、そしてその表現行動を、生徒会誌の記録の形で味わいたい。これらの記録が読む人達に伝わり、そしていずれ輝き活用される時が来ることを信じて。

令和4年12月20日 校長 多々納 雄二

 

 

生徒会誌「久徴」第69号 巻頭言